365日「父親を殺してしまった」と泣きながら後悔してたぼくがたどりついた「親の死」のこたえ。

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2017年、ぼくが27歳だったとき父親を亡くしました。ちょうど1年前の5月27日でした。

それからずっと後悔の日々が続き、5月になったころふとラクにになったので記事として残しておきます。

親の死が辛くてたまらない人が読んで少しでもラクになったらと思い書きます。

当時の入院してるときの写真もあるのでそのへん注意して読んでください。

 

 

父とぼく。

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ぼくが生まれたのは父が43歳だったときで、白髪家系のためすでにおじいちゃんみたいな風貌。

同級生の何人かは卒業するまで本気で「おじいちゃん」と思ってたみたいです。

愛媛の今治でJazz喫茶を経営していましたが、売上が上がらず閉店。ぼくが生まれてすぐのときでした。

 

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ぼくが4歳のときに父は「慢性腎不全」を発症。週3回、透析のため病院に通う生活となりました。

父の実家である島の家に引き取られたぼくは、透析で疲れた父よりはじいちゃんばぁちゃんと過ごす時間が多かったのを覚えています。

高血圧、心不全、血栓などいろいろな病気や症状と戦いながらぼくを大学まで行かせてくれました。

 

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それから東京での社会人生活を3年でやめて島に帰り、父と一緒に祖父を見送りました。

父とゆっくり島で過ごす時間が始まったと思いましたが、アホなぼくは友達や女の子との予定を優先してほとんど家に帰りませんでした。

たまに土日のどちらか近くのカフェまで一緒に行ってご飯を食べるくらいで、父の好きな釣りにはおそらく1度だけしか行ってません。

 

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肺炎発症、そして入院。

そうしていると父が入院。透析をしているためどうしても入院の回数は多く、いつもすぐ退院してくるので今回もそうだろうと思ってました。

お見舞いにいき、ちょっと話して洗濯物をもって帰る。正直「面倒だな」と思ってました。

「今日は来れんのか?」と父からメールがありましたが友達とのBBQの予定を優先してお見舞いに行かない日もありました。

 

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入院から2週間が経ちそれでも退院できない状態。

当時は会社員だったので「病状が悪化したのでできればきてください」という連絡に正直イヤイヤ対応してました。

というのも、父は普段からすこし大げさに話すクセがあったので「はいはい、大丈夫やって」と心の中で思っていました。

 

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病院から突然の連絡。

はっきりと今でも覚えています。当時付き合っていた広島の彼女とのデートが終わりだいたい20時位に病院から電話がありました。

「今すぐこれますか?緊急治療室に入ります」

何がどうなっているかもわからず車を飛ばしていきました。するとそこには今まで見たことない父の姿。

2週間ちかく入院してる間に肺炎が悪化して、酸素が肺に入らない状態に。

麻酔をかけて人工呼吸器を挿管されている父がベットに横たわってました。

 

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言葉もしゃべれないのでひらがなのボードでかんたんな会話。

この前までは、洗濯物や入院中の生活のことでいちいち電話があったのに急に一言もしゃべれなくなったんです。

意思疎通もしにくい状態が1週間ほど続きました。

 

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抗生物質などを投与し、炎症反応の数値が下がっていくと挿管がとれ、声を出せるようになりました。

「あぁ良かった。また声がきけた。このままよくなってくれるだろう」

と思いました。しかし、担当ドクターは

「年齢とこれまでの病気のことを踏まえるとかなり厳しいとおもっていてください」

と入院時から回答は変わりませんでした。

炎症反応数値がまた上がり再度挿管になり、最終的には気管切開しチューブを挿入

 

10ヶ月の闘病生活。

ずっと寝たきりでも明るさを忘れない父。普段から人を笑わせるのが好きな人でした。

ぼくの同級生は父のことが大好きで大人になっても父の話題が会話に出てきます。

呼吸がしんどい、好きなものが食べられない、排泄はおむつ。

正直自分だったら誰にも会いたくない状態です。それなのに会いに行くと満面の笑みで出迎えてくれました。

 

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こういった状態が長引くと、これが日常になってきます。

あれほど心配して早く治ってほしいと思ってなるべく一緒にいたのが、だんだんとお見舞いの時間が短くなっていきました。

友達や彼女など現実を忘れられる楽しい時間お金を消費することでストレスを発散してました。

毎日面会に行くのが正直面倒に感じることも…。

病院に行っても言葉も交わせない。好きな物を買っていって食べさせてもすぐ吐いてしまう、そんな日々でした。

「いっつも10分で帰る!」とたまに父に怒られていました。

「ぼくだって忙しいんだ」と言い訳してたのを覚えています。

 

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ぼくが父を殺してしまったと思う日々。

そして2017年5月27日。約2週間昏睡状態が続き、眠るように父は亡くなりました。

そこからぼくを待っていたのは「後悔の日々」

 

  • もっと一緒にでかけたり釣りをしていれば
  • もっと日頃から父の体調に気をつかっていれば
  • もっと入院中に父との時間を過ごしていれば

 

肺炎になった原因はぼくにある。

島で父と過ごしているときに父の好きなJazzコンサートがTVで見れるようにYouTubeの使い方を教えました。

それから父の家を出る機会が少なくなり、横になりずっとTVを見る生活に。

ぼくがもっと早く釣りや島の景色を見て回る楽しさに気づいていれば、父を外に連れ出すことができていました。

肺炎は免疫力の低下が主な原因です。父は日和見感染といって免疫力が極端に落ちて肺炎を発症、最後まで完治しませんでした。

 

友達との予定を断り1日でも一緒にいてあげればよかった。

もともとあちこち行ってしまいがちだったぼくは、父の入院後もフラフラしていました。

「今すぐに…」なんてことはない、と思ってかなりの頻度ででかけたり彼女と遊んだり。

もちろんお見舞いはほぼ毎日行ってましたが長くても2時間程度でした。

 

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ブログを書いてる今だからはっきりと分かるんですが、父は1日のほとんどをこの病室で一人で過ごしていたんです。

仮にぼくが1時間一緒にいても、残りの「23時間は狭い部屋」でベットに横たわって寝てる日々。

そのときのぼくにはこういう考えが1mmもありませんでした。

どちらかというと、「1時間お見舞いに消えてる…」そんな感情でした。

 

ぼくと少しでもながく一緒にいたい。

父が一人病室で「どんな思いで過ごしていたか」と思うと、涙が止まりません。

できることならそのときに戻って、会話がしずらくてもずっと話がしたいです。

話ができなくても、父の横で一緒に時間を過ごしたいです。

 

今なら、しんどい状況にもかかわらずいつも満面の笑みで迎えてくれた理由がわかります。

それは、

 

「ぼくと少しでもながく一緒にいたい」

 

そういう気持ちだったんだと思います。

 

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こんなちっちゃい頃から病気をしながら育ててくれました。

自分が「いつ死ぬかもわからない」からそのときそのときの「ぼくとの時間をいつも大事」にしてくれていました。

だから自分の病状じゃなくて、ぼくとの時間が「あとどれくらい取れるか」が大事だったんです。

 

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父の死から1年。

それから、家で一人仏壇の前に座ると自然と涙が溢れてきます

父の夢をみて、朝起きると泣いていたり。

周りにはわからないようにしてたつもりでしたが察してくれていた人はたぶんいたと思います。

 

今年の5月に入り、ふとこの1年を振り返ってみました。

 

  • ゲストハウスとカフェをやろうとする
  • 母、姉と大喧嘩
  • 父のお葬式にもきてくれた彼女からフラれる
  • 借金・うつなどをブログで公表
  • 相手をたたくような書き方
  • 周りからの批判
  • 島の自然に本当の意味で感謝するようになる
  • 自分を偽ることをやめる
  • 会社員をやめる
  • 「しゅうへいのおかげで…」と言われることがふえる
  • ぼくのサロンに10名を超えるメンバー
  • 収益が10万こえる

 

目まぐるしい1年だったと思います。メンタル的にもかなりハードな時期がありました。

「つらい」「しんどい」をだれにも言えず、周りはぼくのことを批判する人だらけだと思った時期もありました。

「誰のせいにもできないこの後悔をだれかの胸の中で泣きながら話したい」と思う日もありました。

 

でも父の1周忌に近づくと、自分の中で何かが変わってることに気づきました。

それは「問題が解決していってる」ということ。

 

父がぼくの人生の膿だしをしてくれた。

本当に「父の死の理由」を言い当てる占い師がいたらたぶんこれを間違いなくいうと思います。

つまり、父の死がなかったら出てこなかったぼくの課題を1年かけてゆっくり解決してくれたんです。

25年も透析をして、10ヶ月病院のベット生活…。

なぜここまで「苦しむ必要」があったのか、ではなくその間も「ぼくの膿だし」をしてくれてたんだなと思ったんです。

 

「自分を偽る」ということはある種、治らない病気」と戦っている状態です。

「正直に話せない」ということが、「色んな症状」を引き起こしていました。

それを自然とぼくに伝える必要があって必死に病気と戦ってくれたんだと今なら思います。

おかげで今のぼくはありのままで生きてます。

失敗することもある、間違いをおかすこともある、人を失望させることもあります。

それでもいいと思いました。

 

今は毎朝起きるのが楽しいです。たまに昼まで寝ることもありますがまぁいいかなと。

朝は畑の水やりをして、スズメが庭まできてチュンチュンしてるのでコーヒーのみながらぼーっとみてます。

父もコーヒー好きだったので1杯いれて、お気に入りのJazzのレコードをかけます。

 

この暮らしが本当に好きだな〜と思います。父が生きてて一緒にいたらどんな会話をするだろうか、そんなことも考えます。

「ブログで食っていけるのか」

「彼女はいるのか」

「イカはどこで釣れそうか」

「魚をさばけるようになったか」

まぁいろいろ心配されそうな生活ですね…。

 

「しゅうへいが気づくように10ヶ月病院でがんばったから、しゃんしゃんやれよ」

と言ってるような気がします。

 

親の死は乗り越えなくていい。

無理にそうするとどっかにひずみがきます。ぼくがそうでした。

「克服」なんかしなくて良くて、ただ「親の死の意味に気づく」ことが大切です。

 

その意味に気づいて理解しようとすれば勝手に体や心がついてきます。

ぼくの場合は「方向性」を大きく正してくれました。

 

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最後に。

長い文をちゃんと読んでいただきありがとうございました。

嘘偽り無くぼくの心境をかいています。

現在、家族の死などで悩んでいる方はぜひ参考にして「その人の死」の意味を考えてみてください。

他の誰かに優しくできることだったり、人生をもっと飛躍させるための「気づき」がそこにあるはずです。

辛くていいんです、しんどくていいんです。そういう時間があって当然で、そのさきにふと何かがふってきます。

 

「親の死」「点」のできごとではなくて、「線」でやってきます。

「一瞬でおわる経験」ではなくその後の人生に「線」として、あるいは「面」として現れてきます。

 

「なくなった人の立場」であなたのことを見てみましょう。きっと何かに気づくはずです。

 

忙しい日々で遠くに住む家族となかなか時間が取れてない方はぜひ、1回くらいはゆっくりと過ごしてみてくださいね。

 

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